「日本一カッコいい男」と言われた白洲次郎 WRITTER 榊原

 今回私は、東京都町田市にある記念館「武相荘」という所に行って来ましたのでご報告します。

 この武相荘、場所は小田急小田原線の鶴川駅が最寄駅となります。駅から歩いて20分程かかりました。

遠いです…。しかも住宅街の中にあり、グーグル先生に頼ったのに迷いました。近くにバス停があったので、バスで行ったほうが良いかもしれません。

 しかし武相荘に着くと、そこは東京とは思えない程静かな場所で、自然も豊かでした。雰囲気のある小道を抜けると、まず目に入るのがクラシックカーのペイジ1916型。

 この車は、白洲次郎の初めての愛車(同型)だそうです。そう、ここ武相荘は「日本一カッコいい男」と言われた白洲次郎とその妻、正子の住んでた家を当時の形のままミュージアムにした場所です。

 白洲次郎は1902年、兵庫県芦屋市で実業家のボンボン息子として生まれました。17歳の頃から上の車を乗り回し、宝塚の彼女を助手席に乗せていたとか。羨ましい…。

 ただ、若い頃の白洲は血気盛んで、ケンカに明け暮れる暴れん坊。手に負えなくなった親は、イギリスのケンブリッジ大学へ留学させます。正にリアル花形満です!

 留学した白洲は、イギリスでカントリージェントルマンという生き方に出会います。田舎で農夫として暮らしながら、しっかりと中央(政権)に目を光らせる人のことです。また「プリンシプル」と言う主義に強い感銘を受け彼のモットーになります。

 留学後日本に帰って来た白洲は妻正子と結婚します。そんな中、戦争が始まり疎開の意味もあり、またカントリージェントルマンに憧れる白洲の意向で武相荘に引っ越して来たそうです。

 手前には、レストラン棟があり、奥が母屋です。今だに当時のまま茅葺き屋根です!この中は当時の暮らしが紹介されるミュージアムなってます。「PLAY FAST」はゴルフをする時の白洲の口癖で、「早く やれ!」だそうです。また他にもオリジナルショップなどもあります。

 戦争が終わると白洲は中央に呼ばれます。白州は英語が堪能なこともあり、終戦連絡中央事務局の参与としてGHQとの交渉に挑むこととなります。しかし白洲はGHQの要求に対して、主張すべきところは頑強に主張し

GHQの要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめました。有名なエピソードが、マッカーサーに天皇からのクリスマスプレゼントを届けに行った際、マッカーサーに「その辺に置いといて。」と言われ「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけたそうです。

 その後白洲は日本国憲法の草案の制作に携わり、サンフランシスコ講和会議の際にも渡米します。

その時のお写真がこちら!

 ダンディ!

 終戦間もない日本にどうしてこんなカッコいい日本人がいたんでしょう?因みに日本で初めてジーンズを履いた人とも言われているそうです。

 最後に彼の遺言書を紹介します。

「葬式無用、戒名不用」

 最後まで自分の生き方を貫き、アメリカと最後まで戦った白州ですが、晩年やりたいことは野良仕事だと言っていたそうです。武相荘は、そんな白洲次郎にとって一番安らげる場所だったのでしょう。

住所:〒195-005 東京都町田市能ヶ谷7丁目3番地2号

開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)

休館日:月曜日(祝日・振替休日は開館)

    夏季・冬季休館あり ※企画展ページを参照下さい。

入館料:1,100円(税込)

公式サイト:https://buaiso.com/

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